東京カレンダーの綾は一体どこに住んでいたのか?その5(終)

前回の記事はこちら⇒東京カレンダーの綾は一体どこに住んでいたのか?その4
今回は最終回・再び三軒茶屋編です。本編エピソードはこちら⇒40歳になった女性・綾が住む街・・・それでも、女の人生は続く。

再び三軒茶屋に戻ってきた綾
再び三軒茶屋に戻ってきた綾

代々木上原に単身乗り込んだ綾は「持たざる者」の悲哀を味わい、最後の砦・三軒茶屋に戻ってきたわけです。
青雲の志を抱いて上京してきたあの頃。
深夜に友達とお茶してドキドキしていたあの頃。
三軒茶屋を「さんちゃ」と呼んで照れていたあの頃。
あの頃、綾には若さと素直さがありました。

翻って今はどうでしょうか。
40歳になった綾は若さ至上主義の価値観から脱することができないまま、若い女の子に「お前らもいつかこうなるのだ、落ちてくるのが楽しみだ(大意)」とニヤニヤしながら待っている、そんな人間になってしまったわけです。
そんな目を覆うような人になってしまった綾に「ずっと好きだった」と言ってくれる元同僚。あなたが神か。解せぬ。

可能性として考えられるのは…
1.元同僚は綾を17年前の綾のままだと勘違いしている(元同僚観察力不足説)
2.元同僚はこの17年間変化も成長も彼女もできず、ずっと綾だけを想い続けていた(元同僚ストーカー説)
3.元同僚がプロポーズしてきたのも、そもそも代々木上原のenbocaに行ったところから綾の妄想だった(元同僚幻想説)
元同僚こんなに健気なのに、最終的には綾に「学びがない」と切り捨てられる未来が見えます。
自分の給料の方が高いことをアピールする女ですから間違いありません。(断言)
一般的に言っても、「自分はそんなに相手のこと好きじゃなかったけど、長期的あるいは多方面で力を尽くしてくれたのでご褒美的な意味で付き合ってあげる」という恩恵的関係は――相手に対するスタンスが大きく変わるケースを除けば――長続きしないものです。

前回の記事で、「人と人との関係はお互いのコミットがあって初めて長期的に成り立つものです。」と書きましたが、お互いの相手に対するエネルギーに差があり過ぎる場合、どこかで軋轢や不満を生むことになります。
相手の誠意や努力に免じて関係を「許して」あげた場合、恩恵を与える側からのコミットは基本的にはありません。
それは一方的な関係で、誠意や努力が途切れたとき、あるいは誠意や努力に飽きてしまった時が関係の終わりです。
よくそういう関係が主従関係にたとえられますが、まったく違います。

???「違うよ。全然違うよ。」
???「違うよ。全然違うよ。」

主従関係はお互いのコミットでもって成り立っています。
例として鎌倉時代の主従関係を見てみましょう。

鎌倉時代の主従関係(ベネッセチャレンジウェブより)
鎌倉時代の主従関係(ベネッセチャレンジウェブより)

 

登記も謄本もなかった時代、先祖代々の所領であっても自分のものとして認めさせるには実力しかありませんでした。
しかし権威が支配権を認めてくれれば紛争は回避できるし、たとえ訴えが上がったとしても有利に事を進められるでしょう。
それが「ご恩」であり、命を賭けて戦う(=奉公)に値するものでした。
その関係が崩れた時に主従関係も崩れ、引いては幕府が滅びるわけです。
倒幕勢力が力を持ち、鎌倉に迫った時、御家人たちは倒幕勢と幕府のどちらが残るか考えるわけです。
なぜなら負けた方に付けば先祖代々の所領を失うかもしれない、そしてその事態は避けなければいけません。
権威が揺らげばご恩が揺らぐ。ご恩が揺らげば所領が揺らぐ。所領が揺らげば御家人が揺らぐ。ニンニク入れますか?

相互にコミットすることの大切さ。相互でなくなれば関係は途切れる。リムーブすればリムられる。リムられたらリムり返す。
綾は自分が主役でいようとしすぎて、他の人への働きかけを怠った結果、自分の物語でさえ主役の座から引き摺り下ろされることになりました。

東京に出てきてからの17年間。振り返ってみたら、甘く時には苦い思い出と共に、色んなレストランがありました。

上京して、こわごわと辿りついた三軒茶屋時代(笑)大好きだったのが、フレンチビストロの『トロワ』。ワインなんて赤か白かくらいしか分からなかったけど、ジャケ買いする感覚で選ぶのが楽しかったんですよね。店員さんもお客さんもおしゃれで、あぁ、私東京にいるんだって高揚感を感じられたお店でした。

28歳。恵比寿に引っ越してからは、三田通りにある『Aponte』が思い出深いです。当時付き合ってた地元が恵比寿の代理店出身の彼ともよく行きましたね。あ、余談ですが、フリーアナウンサーの女性とは、結果離婚したみたいですよ。諸行無常ですねぇ。

ガーデンプレイスの奥座敷『ジョエル・ロブション』は、「30歳になるまでにデートで行けたらイイ女」って先輩に言われましたが、結果、40歳になった今でも足を踏み入れることはありませんでしたね(笑)

31歳。銀座に住んでたときは、当時お付き合いしていた一回り上の男性から連れて行ってもらって思い出深いのは、日本を代表するフレンチ『ロオジエ』ですね。大人の舞踊会のような、めくるめく夢のような時間を経験できたのは、女としての財産です。

豊洲は・・・・ごめんなさい、正直あまりターニングポイントとなったレストランは無いのですが・・・夫婦の楽しかったときを思い出すと、立ち飲み屋『かねます』の行列に並んでいた時の記憶が浮かんできます。

37歳で別居して代々木上原に引っ越すきっかけとなったのは、『enboca』でした。今の彼が、不謹慎にも、別居祝いをしてくれました。あの夜の、悲しいんだけど、温かい感じは今でも覚えています。泣いたり笑ったり色々なドラマがあったけど、今思えば、そのどれもが無駄じゃなかったって思えますね。

これは何ですか。走馬灯ですよね。連載の都合上とはいえ、綾は人生の最期を迎えたかのような心持ちです。

ここからは奇跡なんて起こらないし、奇跡を信じれるほど幼稚でもない。40代は、投げ出すことも、方向転換も、後戻りすることも難しい。そして、そんな日常に埋もれ、いつの日か、己の限界を知るときが来るのでしょうね。自分に失望し、今日とよく似た明日が延々と続く未来に絶望し「自分の人生にもうドラマは起こらない」と悟るときが。

そのとき、東京は色を失い、私のドラマは、THE ENDを迎えます。

今まで行ったレストランが走馬灯のように浮かび、綾のドラマはTHE ENDを迎える、とすると今回の綾の住まいは三軒茶屋のどこそこではなく、実はここだったのではないでしょうか。

 

 

 

綾の終の棲家(瑠璃光院 白蓮華堂 女性専用区画)
綾の終の棲家(瑠璃光院 白蓮華堂 女性専用区画)

欲望のままに生き、もう自分の人生にドラマがないことを知った綾は文字通りTHE ENDを迎えた。
今も綾は瑠璃光院白蓮華堂女性専用区画で安らかに眠っているのだろう。
そう、第3回の記事で書いた「限りない欲望」の最後のように。

僕はやがて年をとり死んでゆく
僕はそれを当たり前と思っている
それでも僕はどうせ死ぬなら 天国へ

限りない欲望の果てに、死に際しても天国へ行きたいという欲望に駆られるという話。
東京カレンダーで最後死ぬ話は刺激が強すぎるので書けなかったのだろうが、状況証拠を組み合わせて筋を通していくと僕にはそうとしか思えなかったのです。
走馬灯やTHE ENDは直接的な表現ができないゆえの暗喩なのではないか、と。
物語の終わりと物語の登場人物の死を混同するなって言われそうですけど。

さて、長らくお付き合いいただきました東京カレンダー・東京女子図鑑 綾編の考察もこれで一旦おしまいです。
いかがだったでしょうか。
最後トンデモすぎるとか楽しめたとかその見方はなかったとか様々ご感想あることでしょう。
ご感想はDMかコメントか耳打ちでいただければ幸いです。
いま連載中の拓哉編は綾編よりも住んでるマンションが明示的なので(具体名が出ている回もありましたね)最終回まで見た上でやるのかやらないのか含めて今後の検討とさせていただきたいと思います。
それでは。

♪限りないもの、それが欲望~

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