東京カレンダーの綾は一体どこに住んでいたのか?その4

前回の記事はこちら⇒東京カレンダーの綾は一体どこに住んでいたのか?その3
今回は代々木上原編です。本編エピソードはこちら⇒37歳女性が住む街「代々木上原」。私はおばさんになったか?

代々木公園から代々木上原に向かって歩く綾
代々木公園から代々木上原に向かって歩く綾

結婚⇒不妊⇒別居と読者の喜ぶ展開をたどる綾ですが、そもそも1ヶ月で結婚しちゃったことに無理があるだろ!とみんな思うでしょうが、私は別のところにもっと大きな問題があると思っています。
紫原明子さんの考察と似ているようで違う話なんですが、綾は与えられることに慣れすぎていたと思うんです。
それは日本橋のパパのような年長の男からもそうだし、毎回住み替えた新しい街からも都度違った刺激や学びを得ていたわけです。

綾「学びがある」
綾「学びがある」

ところが、前回の豊洲では豊洲の店の紹介が一つもなかったことからもわかるように全く学びがなかったわけです。
夫との夫婦関係破綻もそう。夫は何も綾に与えてくれなかった。そんな関係は彼女にとってはなんの意味もない、となるわけです。
人や街から学びを得て成長していくことはとても楽しいですが、しかしそこに自分からのコミットはありません。
人と人との関係はお互いのコミットがあって初めて長期的に成り立つものです。
綾は結婚するための努力はしましたが、結婚してからは積極的な関係改善の働きかけは何一つしていません。
一人で不満を溜め込んで黙って爆発させただけです。
今までは鳥の雛のように口を開けて待っていれば餌があてがわれたかもしれない、でも今回はそういう相手ではなかった、だから別れるというそういう話です。

代々木上原転居にしてもこの街から何かを得ようと、これまでのように考えて引っ越したはずです。
ところが代々木上原という街は綾のように成長・上昇しようとする人にふさわしい街ではありません。
もう仕上がって、出来上がってしまった経営者や外国人のための街です。
綾が代々木上原の女性から読み取った「中庸」は余裕や安定感から発するもので、綾が何年代々木上原に住もうともそれを身に付けることはできません。
綾は「学びがある」と感動するのではなく、学びを与える側にならなければいけないのですが、その発想が彼女にはありません。
人から何かを得ようとする姿勢を変えないから、よりそのスタンスが容易な若い子に嫉妬するわけです。悲しいことですね。
20代引く手あまただった頃の発想のまま30代を過ごし、自分に寄ってくる男を一人一人ダメ出ししていって、年々ダメ出しする男のレベルが下がっていることに気づかず、最後には結婚詐欺や財産目当ての男しか寄ってこなくなるような諸行無常に近いものがあります。
自分の強みは何なのか、変わっていく自分を客観的に理解すること、それが必要なのは就活の時だけではありません。
若い子が有利なステージで戦い続ければ負けるのは当たり前です。
負けたくないならどうやれば勝てるのか、戦う場所や戦い方を考えなければいけませんが、綾は昔から培ったやり方しかやらないのです。

何の話でしたっけ。綾が代々木上原で住んだ物件ですね。
綾の年収は700万(31歳)→770万(34歳)と来てるので37歳の今は800~850万くらいでしょう。
だとすると家賃に使えるのはだいたい年間200万くらい、割り戻すと15~16万円くらいでしょうか。
そうするとこの物件とかどうでしょうか。

綾が住んだ(?)マンション外観
綾が住んだ(?)マンション外観
綾が住んだ(であろう)間取り
綾が住んだ(であろう)間取り

結婚に敗れ、ボタニカルやらロハスやらが息づく街、代々木上原にやってきた綾はもう分譲マンションやチャラチャラしたREIT物件には目もくれず、このオクトホースのような頼れる重々しさと傷ついた体を受け止めてくれるホーム感を求めたのではないでしょうか。
家賃は共益費合わせて15万8千円、バストイレは分かれているし、ヘルシー生活を送るための南向き間取りでもあります。
住まいを変えれば生活が変わる、生活が変われば人生が変わる(ラーメン二郎理論)、でも変えられるものと変えられないものがあることに綾も目を向けなきゃいけないよね。
さて次回はいよいよ最終回です。東京カレンダー綾編の総括もかねてキメていきたいと思います。
続きはこちら⇒東京カレンダーの綾は一体どこに住んでいたのか?その5(終)

第08話「東京都渋谷区代々木上原のエマダツィとパクシャパ」

綾もこのブータン料理屋さんに行ったりしたんでしょうか。

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