マンション評論におけるジャーナリズム

(初出:2014.2.12 画像追加)

マンションジャーナリストという職業がある。
彼らは豊富な経験と知識を活かし、マンションを買う(借りる)に当たっての有益な助言をしてくれる、一言で言えばあかいさんのような人である。
しかし、あかいさんと彼らの違いを挙げるならば、彼らは専業であるために、絶えずデベロッパーとのパイプを維持し、情報をアップデートしなければならないため、あまりデベロッパーの不興を買うことはしづらいということである。

彼らの中にはデベロッパーからギャランティーを得て講演や原稿を書く人もおり、そうなってくると公正中立に見せかけたデベの代弁者と言わざるをえないのである。
デベロッパーが不正や事故を起こしたなら、それを追及し、問題の再発を防ぐにはどうしたらいいのか、その道筋を立てるのがジャーナリズムだが、情報的・経済的にデベロッパーに依存しているために、なあなあの、運が悪かったねくらいの反応に終わってしまう。

ザ・パークハウスグラン南青山高樹町外観イメージ(SUUMOサイトより)
ザ・パークハウスグラン南青山高樹町外観イメージ(SUUMOサイトより)

今回の三菱地所・ザパークハウスグラン南青山高樹町問題に対するマンションジャーナリストの現状を嘆いた新宿次郎先生の一連のツイートは深く頷かせるものだった。

デベにとって耳の痛いことを言うためには、デベに(情報的にも、経済的にも)依存していては難しい。
だから自力で情報を集め、自力で身を立てなければならない。 しかしそれゆえに、デベからの協力も得づらくなり、レポートも見解も独自研究(wiki的表記)に近づかざるを得ない。
ここで僕が思い出すのは、反原発の研究者やジャーナリストのことである。 彼らはその思想ゆえに大学のポストから遠ざけられ、ある者は助教授、講師のまま年をとり、ある者は大学に背を向け在野として生きた。
原発事故の危険性を訴えたジャーナリストは、福島第一原発事故が彼の危惧したシナリオ通りになっても、キワモノとして扱われ続けている。
だからお上なり大企業にモノを申すためには、本人の覚悟とお上や大企業によらない経済的基盤がなければいけない。
デベを批判するマンションジャーナリストが少ないというのは、逆に言えばそういう人たちを支える土壌やデベやスーモを通さないB2Cがいかにお寒い状況かというのを示しているのかもしれない。(社説顔)

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